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   気ままにらくがきブログ

エイプリルフールの由来のウソ?

今年のウソは?

4月1日といえば、エイプリルフールですね。近年では大手企業が会社をあげてこのイベントに乗っかり、世界中を楽しませてくれます。

私が密かに楽しみにしているのは、google日本語入力チームのウソ発表。

さて、この4月1日にウソをつくという習慣は一体いつから始まったのでしょうか。検索してみると様々な説が出てきたので、「もしかしたらこれもウソかも?」とつい懐疑的になってしまいました(>_<)。一つずつ見ていきましょう。

インド説

インドの僧侶が厳しい悟りの修行を終えて4月1日に普通の生活に戻った途端、再び迷いが生じてしまうことを揶揄したのが始まりという説。 そのため4月1日のことを「揶揄節」と呼ぶようになったそうなのですが、この話だけではウソをついてよいという話でもなさそうで関連性が見えてきませんね。強引に解釈するなら、それまでの修行がまるでウソだったようなところから来てるのかし(´・_・`)

聖書説

ノアの方舟の話で、水が引いたことを確認するためにハトを飛ばしたものの無収穫で戻ってきた日が4月1日だったことから「無駄足を踏まされる日」という説。確かに聖書の創世記8章8~9節にそういうシーンはありますが、日付の記述はありませんので4月1日とされた由来も気になります。それより、もしもこれを起源とした場合「ノアがハトにウソをついて無駄足させた」と相当歪んだ解釈になってしまいそう。キリスト教的に大丈夫なんでしょうか。そうそう、直前の創世記8章7節でハトより前に飛ばされてウロウロしたカラスのことも忘れないであげてください(。>﹏<。)

イギリス説

これはエイプリルフールの起源ではなく、エイプリルフールの有効期間は午前中だけ(午後にはネタバラシする)というイギリスの習慣の元ネタ(の一説)のようです。イギリスには、チャールズ2世によって1660年に王政復古されたことを祝う記念祭「Oak Apple Day」というのがあるそうで、もちろんエイプリルフールとは関係ない5月29日なのですが、その日は午前中だけオークアップルを身につけ王への忠誠を示すのだとか。

古代ローマ

古代ローマで行われていた身分階級を逆にする「さかさま祭り」から「ウソと本当も逆転」させるようになったとする説。もう少し調べてみたところ古代ローマ帝国では貴族や商人達が毎晩のように「ケーナ」と呼ばれる祝宴を開催していて、その余興でドンチャン騒ぎをする習慣があったそうです。祝祭の季節に行われる余興がさかさま祭りで、無礼講と称して身分階級を反対にする遊びで盛り上がったのだとか。恐らく古代ローマの祝祭は当時の新年つまり春分と思われますから、時期的にも説としての合理性はあるように思います。

フランス説その1

フランスの人々はこの日、魚を形どった紙や絵などを人の背中にこっそり貼り付けるドッキリを仕掛けるそうです。まんまと魚を貼られてしまった人のことを「Poisson d'avril(四月の魚)」と呼ぶというちょっとよくわからない風習なのですが、4月になるとサバがよく釣れるらしく、なんなら餌をつけてなくても釣れてしまうことから引っかかった人のことをそう呼ぶのだとか。うーん、たまたま日付が同じってだけで、エイプリルフールとは別のイベントのような気がしなくもないですね。

フランス説その2

これについては wikipedia 先生が詳しかったので引用してみます。

その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた(これ以降は嘘の起源と思われる)。

しかし、シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまう。処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れないために、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりである。

そして13歳という若さで処刑された少女への哀悼の意を表して、1564年から13年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、その日を一日中全く嘘をついてはいけない日とするという風習も生まれた。その後、エイプリルフールは世界中に広まり、ポピュラーとなったが、「嘘の嘘の新年」は次第に人々の記憶から消えていった。

1月1日を新年とする暦ってなんだろうと思って調べてみたのですが、フランスでは

と暦が変遷していることがわかりました。少し脱線しますが紐解くには非常に重要なポイントですので、これらの経緯について見ていきましょう。

このユリウス暦というのは、かのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)皇帝が実施したといわれる暦です。紀元前に作られたとは思えないほど非常に正確な暦で、ヨーロッパでは千年以上の長きに渡って使われてきました。上の変遷リストをみての通り、1582年の時点でも誤差は10日というオドロキの正確さ(@_@。

ただ、春分秋分夏至冬至といった太陽の運行に関する日がそれほどまでズレてしまうとさすがに宗教行事にも影響が出てしまいます。そろそろなんとかしようってことから1579年、時のローマ教皇グレゴリウス13世が学者などを集めて新しい暦の研究委員会を発足させました。これが現在世界中で使われているグレゴリオ暦です。

フランス革命暦というのは、市民の力によって王政を廃止(フランス革命)した際に作った革命政府が、カトリック色の強いグレゴリオ暦に反発して制定したものです。ところがたった十数年で「やっぱ王様欲しい!」ってことで国民投票でナポレオンが皇帝になり、カトリックとの和解の意味も込めて暦も元のグレゴリオ暦に戻すという冗談みたいな話がホントにありました。

さて、そろそろ話を戻します。フランスのシャルル9世が1564年に採用した暦とは、一体何だったのでしょうか。一説によればそれがグレゴリオ暦だという話ですが、シャルル9世はグレゴリオ暦が研究される以前の1574年にこの世を去っています。

しかも、いかにも横暴残虐な暴君かのような印象を受けますが、1564年の4月時点でシャルル9世は13歳、処刑されたという少女と同じです。幼少の頃に結核にかかり、10歳で王に即位したものの実権は母に握られ、その母が黒幕と噂されるカトリックの大虐殺によって父以上に慕っていた提督を殺され、24歳を目前にしてこの世を去った悲劇の王だったことも分かりました(;´Д`)

諸々考察してみると、この説は何らかの事実に基づいているのかもしれないけれど、エイプリルフールの由来としてはちょっと盛りすぎかな?という印象です。そもそも春分の日と1月1日のどちらをもって新年とするかも、暦を変える話ではなく日付を変えるって話ですしね。

まとめ

エイプリルフールの「フール」とは直訳するなら「バカな人」。ウソに騙された人を揶揄する言葉なのだそうです。ネガティブな印象を受けたのは私だけでしょうか。

むしろ最初に紹介させていただいた動画のように、あからさまなウソに対して全力になれる「いい意味でのバカ」という賛辞の意味でポジティブ解釈をしたいな、と私は思いました。(*´ω`*)

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